トモはてブログ

熊本県在住の心理学系雑記ブロガー‼︎

【仕事選びの参考に‼︎】私が福祉の道に進んだわけ…


トモはてブログに訪問して頂きありがとうございます。
ブログ管理人のトモタ(@TTS121010)です。
今回は、就職活動を「これから始められる」若しくは「既に始めている」方や「転職」をご検討されている方の仕事選びの参考にもなればと思い、私が福祉の道に進んだわけ…について書かせて頂きたいと思います。
ちなみに私は福祉の大学に進学していたんですが、最初から福祉の仕事をしていたわけではありません。

しかし、人の道は不思議なものです。
自分に合う道に戻してくれる出来事もあったりするので、その辺も含めて書かせて頂きたいと思います。
よければ最後までお付き合い下さい。


<目次>

福祉の道に進むきっかけ…

私は先日のブログにも書かせて頂きましたが、高校は工業学科を専攻していました。
中学生時代は高校を卒業したら仕事に就いてお金を早く稼ぎたいと考えていたからです。

そんな私に「福祉の道」という新たな選択肢が出来るきっかけとなった出来事…
それは、母方の祖父が私が高校1年生の冬に他界した事です。
その事自体が直接的に関係しているわけでは無いんですが、その後に祖母がみるみる弱っていき施設を利用する事となり、そんな祖母を目の当たりにした時に私自身も

「祖母の為に何か出来ることはないんだろうか⁉︎」

と考えるようになったのです。(実際母親は熊本出身では無い為、祖母の家との距離が離れていてほとんど出来ることは無かったんですけど…(苦笑))
とまぁ、そんなこんなで時間は流れ、高校3年生の三者面談の日の事…学校の担任に「福祉の道に行きたいと思ってます。」と伝えたところ、私が卒業した大学に指定校推薦枠があるから受けてみないかという話と、国家資格(社会福祉士)が取れれば病院とかでも仕事が出来るという情報を頂き、病院で働いてみたいという気持ちを抱いて福祉の道に進もうと決心したのでした。


大学生時代〜就職まで

そして、推薦入試も無事に終わり合格も頂け、(指定校推薦入試は顔合わせみたいなものらしいです…今は分かりませんが(笑))大学に入学となりました。
入学して暫くは真面目に授業も受けていたのですが、学校の授業や一人暮らしの生活に慣れてくると…段々と人って怠けたくなるものなんですよね。

おまけにアルバイト(レストランのホールとその後ガソリンスタンド)をして遊ぶお金も手に入る…もう、遊ばない理由が見つからないって感じでした。(笑)
その影響で大学時代は、学業はそこそこにアルバイトと遊びに力を注いでいたわけですね。
そりゃあ、資格試験の申し込みも忘れるはずですよね…(苦笑)

もちろん、そのツケは就職活動の時にやってきたのです。
病院で仕事をする為には、「社会福祉士」の資格が必要で、採用試験を受けるにも取得見込みが無いといけない状態でした。
当然受験が出来ないのですから、取得見込みもあるわけなく、私の病院就職の道は閉ざされてしまったわけです。
まぁ、完全に自業自得になりますね。

さらに、当時はまだ就職氷河期と言われており、中々仕事自体がない状況…
その当時は他の福祉施設等に就職を考えていなかったので、一般企業を30社程応募はしたものの、ほぼ全滅‼︎
最後の方で受けた製薬会社の営業職で何とか採用を頂けたので、もうこれ以上就職活動を続けたくないと思い、一般企業に就職する事になり、大学卒業を迎えました。

退職から公務員専門学校へ…

大学を卒業して、製薬会社の訪問営業職に就いたわけだったのですが、研修が終わり配属された営業所に出勤した初日から、「あ、完全に入る所を間違えた」と思う事に…
そこはまさに完全なる体育会系のノリでして、免疫が無い私は初日から面食らってしまいました。
おまけに他の先輩社員も体育会系出身の方達ばかりで、ちょうど私が入った時に歳の近い先輩もいたのですが、半月後には辞めるという状況。

ここは違うなぁと思いながら仕事をしていると、不思議な出会いがありました。
定期(私は初めて)訪問でお客さん(お婆さん)の家でのこと、どんな話の流れだったかは忘れたのですが、私の学生時代の話をすることになりました。
すると…

「初対面のあなたにこんな事言うのも失礼かもしれないけど、私はせっかく福祉の勉強をされたのであれば、福祉の仕事をされた方がいいし、あなたには合ってると思いますよ」

と言われました。
その時に、出社初日からすぐに感じていた気持ち(違和感)の栓が外れたような気がして、訪問を終えた後車の中で1人涙していたのを覚えています。 そして、その結果…1ヶ月で営業職を辞める事となりました。

その後、福祉の仕事を探そうとしたのですが、先程もお伝えした通り、当時は就職氷河期
特にいい仕事も見つからなかった私は親と話合い、弟が通っていた公務員専門学校(弟は就職先決定済)に1年間だけという期限付きで通う事ににしました。
しかし、公務員試験も甘くはありません。(当然ですね(笑))
結果として学力的に筆記試験はいくつか合格したものの、面接試験で全て不合格を頂く結果に終わり、そのまま専門学校を卒業することになりました。

精神障がい者授産施設

何度もお伝えしています通り、当時は就職氷河期
福祉の仕事を探してもこれといってやりたい物も見つからずにいました。
私自身、仕事の条件をこだわり過ぎていたんですね。
しばらく悩んだ後、とにかく「福祉職の経験を積む」を優先する事を考えました。
さらに熊本でしか探していなかった仕事を大学が宮崎県でしたので、宮崎県も視野に入れて探す事にしました。

そこで見つけたのが、精神障がい者授産施設です。
採用試験を受けた所、採用を頂く事が出来ました。
久しぶりの人に認められたような感覚がすごく嬉しかったのを覚えています。
そして、ここで仕事をしながら社会福祉士を取得し、また違う道を模索しようと考えました。
しかし、ここでも現実の厳しさを知る事に…

その施設の利用者は精神障がいを持たれていたり、知的障がいを持たれている方でしたので、中々心を開いて頂く事が難しかったです。(特に他県民という事もあったと思いますが…(笑))
なので、馴染むまでに半年程かかったかと思います。
ただ、慣れて頂くと今までは何だったんですかと言わんばかりに凄く積極的に絡んで頂きました。(笑)

利用者との関係は悪くなかったものの…スタッフ間のイザコザは絶えない施設でした。
私が入社してすぐに中堅の女性社員が突然置き手紙を置いて退職されたり、施設長のお父さんが仕事を手伝いに来てくださってたんですが、仕事のやり方について激論を繰り返される事もしばしば…
まぁ、施設長はそれだけ熱い気持ちを持たれていたんだと思います。

ただ…ちょっと熱過ぎたんです。

詳しく書かせて頂くと、今は色々問題ある事も含まれているかもしれないので今回は割愛させて頂きますが、次第に施設長のやり方についていけなくなりました。
極め付けは、「お前はここにいる障がい者以下だ‼︎」という人格否定までされる始末…
これがトドメの言葉となり、私は出社出来なくなってしまいました。
朝出社しようとすると、体が強張り目からも大量の汗(比喩表現ですよ(笑)) が出るようになってしまい、結果として出社する事が出来なくなり、そのまま電話で話合い退職をする事に… そして熊本に戻ってきたわけですね。


現在の職場へ

熊本(実家)に帰ってきた時の私の心はボロボロの状態でした。
すぐに仕事をする気持ちも湧かず、心のリハビリがてら家の近くの運動公園でウォーキングを始めてみました。
歩いて汗をかいたりするとちょっと気持ちがスッキリしてちょうど良かったです。
そして、一旦このまま仕事をせず時期的に国家資格の受験も近づいてきてるという事もあり、資格を取得に集中して、合格してから考えようかなぁと考えていました。

そして年末が近づいたある日の事…ハローワークから一通のお知らせ(求人票)が届きました。
それが今の職場です。
だいぶ気持ちも回復していたので、落ちてもいいやという簡単な気持ちで受けてみると…数日後には内定の返事を頂き、年明けから働く事になりました。
その後、現在の職場でも何だかんだあってますが、(詳しくはまた別の機会に…(笑))どうにか辞めずに今に至っています。
これも1つのご縁が働いたのかもしれませんね。

終わりに

いかがでしたでしょうか⁉︎
途中、こみいった話になったりもしましたが、私が福祉の道に進んだわけ…をご紹介させて頂きました。
何か1つでも皆さんの参考になればいいかなぁと思います。(ならなかったらすいません…)

えっ、今の職場の何だかんだですか⁉︎…

それはまた別の機会にでもご紹介させて頂ければと思います。
やはり、人間相手の仕事ではいろいろな事がありますので…(笑)

ただ、私も当初の目標がありますので、このまま今の職場で…という事は考えていない事だけお伝えさせて頂いて、この話を終わらせて頂きます。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。